あすとろのぼやき場

映画の考察やらなんやらを書きまとめます

『Arc/アーク』の考察とか色々

永遠の命を手に入れたらシニア割引とかどうなるんだろう…

 

どうもあすとろと申します。

 

試写会に当選していたものの大量の迷惑メールの山に埋もれ6/11締め切りのメールを6/24に発見する事件が起きガックシ来てたところ、心優しい方から舞台挨拶のチケットを譲って頂きまして図らずしも初日舞台挨拶でArc/アークを観てきました。

 

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作品の感想はこちら

Twitterhttps://twitter.com/a_stro_07/status/1408603151897272325?s=21

Filmarks→【誠意製作中】

 

久々にキャスト登壇の舞台挨拶に参加してテンション上がりつつ、監督たちのお話も聞けてとても作品の理解度が深まったように感じました。

 

SF風味のヒューマンドラマながら非常に考察し甲斐のある作品かつ、なんかスイッチが入って色々思うところがあったのでつらつらと書き綴ります。

 

※以降『Arc/アーク』のネタバレに触れています。

これからご鑑賞される方やネタバレお聞きになりたくない方は鑑賞後にご覧ください。

 

 

では、いきます。

 

・そもそもアークとは?

4つの「Arc」という英単語があります。

1、arc … 円弧(円周の一部分)
2、ark … 箱舟(屋根がある家のような船)
3、arch- … 第一の、首位の(接頭辞)
4、-arch … 支配者(接尾辞)

(意味まとめ様から引用)

 

恥ずかしながら原作をまだ読んでいないのでどこまでがケン・リュウ氏の意図で、どこまでが石川監督の意図なのか分からないのですが少なくとも本作自体は全ての“アーク”に当てはまっていると思います。

 

1,永遠の命を手に入れ無限に続く命の円環の一部分という意味での円弧(アーク)

2,本編で天音が度々口にしていた「船」や利仁が修繕しそのまま乗って旅立った「船」、そもそも人類の進化としても意味を成している箱舟(アーク)

3,リナの不老化処置と永遠の命を諦める先駆者という意味の第一(アーク)

4,動物界と地球の頂点に立つ者として、そして永遠の命で今までの概念を覆す支配者(アーク)

 

全てのアークが円環として繋がる事で「リナ」としての一つの物語が生まれる。

そういう意味では題名であり、ある種の題材でもある「Arc/アーク」はこれ以上ない相応しい言葉だと思いました。

 

・「アーク」を踏まえてのタイトルロゴについて

少し脱線しまして、タイトルロゴを見て「もしかしてそういうことか…?」と感じた事について語ります。

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この「Arc」という文字、シンプルに印象的なフォントなのですがこの“文字”自体にも意味があるように感じました。

ただの「A」と「r」と「c」という文字ですが個人的にはキーとなるキャラクターを表しているのではないかと思いました。

「A」は利仁を、「r」は天音、「c」はリナを表していると思います。

 

・利仁

この「A」ですが一見三角形にも見えます、でも始点に繋がる事なく途切れています。

これは利仁の一生を表していると感じて、利仁自身この世に生まれ、最後は海に出たまま突然消息不明になります。

もし利仁が海に出なかったまま寿命を迎えたらどうなるでしょう?

リナの元から生まれ成長し最後はリナのそばで亡くなる事でしょう、ですが利仁は結局リナの元から離れ消息が分からなくなります。

つまり上記の「A」の文字のように始点(リナの元)に戻る事なく亡くなるのです。

また、もし利仁が不老化処置を行う事になればリナの元(始点)に物理的に戻る事になり三角形として繋がっていた。

そして処置をすれば永遠の命が続いて三角形として永遠の循環が生まれていました。

ですが利仁は自らの意思で処置を行わない選択をしています。

つまり、始点に戻らず循環が起きないまま途切れてしまっている訳です。

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・天音

天音は不老化処置を行いながらも亡くなってしまったキャラクターです。

「r」という文字は道が分岐しているようにも見えます。

天音は精子として自らの想いを残し、ハルへ継承していき、逆にハナは幼少期の段階で不老化処置を行う話が出ています。

両者とも始まり(始点)は同じでも、ハルは永遠の命を得て円弧を描き始めようとしていて、天音は寿命により命を落とし線が途切れる、枝分かれした「生」を表しているのではないかなと感じました。

また、余命が発覚した際「治療を受けるか、精子の冷凍か」という2択で「生」の分岐があったという面でも「r」という文字に相応しいのは天音だと感じました。

 

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・リナ

言わずもがな、永遠の命を手に入れ円弧(アーク)として続く意味で「c」はリナを表していると感じました。

結論としてリナは永遠の命を手放しましたが、手放していなければ135歳を超えてもずっとずっと生きたはずです。

円弧のように続いていた命、そして円弧のように続いていた命が終わり半円のような形として表され「c」の字のように表されているのかなと思いました。

またすべてが始点であり終点である円弧はリナの人生とも合致します。

どのタイミングでも”自分の人生”を始めれたのに始めたタイミングは153歳になってから、逆に不老化処置をやめたのも153歳になってから。

早々に天音を失っているため、どんなタイミングでも始点と終点を打てれるリナの人生と円弧の形が合致する訳です。

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長々と脱線、考察してきましたが個人的には「Arc」という言葉は想像以上に幅広く意味が込められているように感じました。

 

 

さて、ここからは劇中や予告編などのセリフから気になった部分をピックアップして考察しようかなと思います。

 

・永真のセリフにて

「抵抗、死への抵抗」

→単純に永真の死生観が分かるセリフでした。

予告編を見た時から「死”へ”の抵抗」という言葉がどうも引っかかっていたのですが、過去の死の経験から「息の根が止まる=死」ではなく「腐りきり何も残らなくなる=死」なのだなと思いました。

プラスティネーションにより肉体が滅ぶことなく維持される、その先駆者が永真というのも非常に納得のいく展開だなとも感じました。

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・特報にて

「私は世界に触れる」

→この世の理「生と死」に触れるということなのかなと。

初めてプラスティネーション加工された遺体に触れるシーンとメロスを埋葬するシーン、そして最後のシーン

前者は「死」に触れることで「生」を感じるということ。

ちょっと前まで生きていた物に触れることで死を感じ「生きていた」ということを感じ、後者は海辺の潮風に手をかざして生き生きとした地球の息吹を感じることで「死」を実感する。

つまり、逃れられないこの世の理が「世界」でありその「世界」に触れる、そして死という決断を下したのではないかなと思いました。

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恐らく見返したら気になる部分がまだ出てきそうなので、一旦これぐらいにしておきます。

 

 

・演出や展開についての感想

監督だけでなく脚本や編集まで石川監督が手掛けたということで、その感想だったり色々を綴ろうと思います。

 

・モノクロの映像

89歳のシーンから突然全編モノクロの映像に変わります。

正直、カラーの映像でも問題はないと思うのですが、モノクロにした理由として監督は「物語を転調させたかった」と仰っていました。

ですが個人的にモノクロにした理由は物語の転調だけでないようにも感じました。

それは、

・リナの深層心理の表現

・人生経過としての表現

です。

89歳のリナはどこか虚ろなようにも感じ取れます。

天音を失った悲しさにより立ち直れておらず子供たちと接するのは楽しいものの、どこか感情が沈み切ってしまっている部分がありそこをモノクロで表現したのかなと。

またそれも併せて、89歳のリナはまだ自分の人生を歩んでいるつもりで歩めていません。

呪縛に縛られたまま人生が過ぎてゆく、取り残されている気持ちがモノクロで表されているのかなと感じました。

 

・海辺の使い方の上手さ

基本的にリナと利仁の親子の物語が大きく動くシーンでは常に海があります。

リナが利仁を捨て自由になったシーン、リナから利仁が生まれたシーン

天音の庭を作ることをリナに伝えるシーン、リナと利仁と再会するシーン、リナが死を感じるシーン等…

海は母性の象徴でもあります、母なる海で生まれ母なる海で死ぬ。

そういう意味では海の使い方は非常に上手いな、と感じました。

 

【総括】「触れる」ことで始まる物語と「触れて」終わる物語

冒頭、リナは空に手をかざし”世界”に触れて物語が始まります。

そして終盤年老いたリナは手をかざし触れた”世界”を握りしめ、自分に取り込み物語が終わります。

上記でも書いた通りリナは年を重ねることで”世界”に触れ自分の生きる場所を見つけ、”世界”に触れたことで世の理を感じ受け止めることで自分の死ぬ場所を見つけることでリナとしての円弧(アーク)が完成する、ということなのです。

 

 

と、いうことで長々と考察やら感想をまとめてきました。

正直これで作品の全貌が理解できたとは思えないですが、何故か理解できないモヤモヤは残らずスッキリとした終わり方で個人的にはお気に入りの作品でした!

また何回か鑑賞して思ったことがあったらその都度発信しようかなと思います。

ということでまたどこかでお会いしましょう・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

舞台挨拶のキャスト登壇で初めて岡田将生さんを生で見たんですが、めっっっっっっっっっちゃカッコよかったです。

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おしまい

個人的2020年残念だった映画ランキングトップ3

実感がなさ過ぎて僕だけ2020年に取り残されそうです。

どうもあすとろです。

 

波乱の2020年が終わろうとしてますね…!

自分は今年、個人的な都合もありこんなバタバタな状況下でも比較的映画は観れた方だと思ってます。

とはいえ、軒並み大作作品が公開延期や自社サービスで限定配信など映画好きの自分にとっては非常に息苦しい一年でした。

その分、骨太なミニシアター作品をいつも以上に観れたのでそこはありがたかったです(苦しい状況下でも営業してくださった劇場さんには頭が上がりません…)

幅広く映画を観たおかげで沢山の良作と出会えました、が中には「う〜ん…」というような作品とも出会いました。

 

そこで今回は“あえて”2020年公開の映画の中で残念だった作品ランキングトップ3を発表しようと思います。

是非、皆さんのワースt…じゃなく残念映画ランキングも選定して頂ければ面白いかと思います!

 

ちなみに今年と2020年映画ランキングベスト10はこちら→https://twitter.com/a_stro_07/status/1344454715413680128?s=21

 

という事で早速第3位から、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第3位

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』

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スイス・アーミー・マン』を生み出したトンデモ監督が送るディック・ロングの死因に迫る超ダークコメディ

感想はこちら↓

https://filmarks.com/movies/85771/reviews/94804104

 

・残念ポイント

死因が判明してからの中だるみ

 

ディックがアール、ジークと夜遊びしてから容態が急変→病院に死体を捨てる、までの流れや死因をひた隠しにする真面目だけど超滑稽な様は不謹慎ながらめっちゃ面白いんですが死因が判明した後、そして死因のぼんやりとした明かし方が少し勿体ないなと感じました。

直接的に語らないけど何となく察せる死因、そしてネタバラシ後のディックの奥さんに死因をバラさないようにする流れが少し長く感じてしまって前半の熱量ほど話に入り込めませんでした。

 

ただ題材が題材なだけあってめっちゃバカで「フフッ」と笑えるような内容なので他の2作品と比べてまだ楽しんで観れます。

結構しっかり下ネタ豊富なので観る人は選びますが、割と面白いのでお正月休みなんかにダラっと観てみるのをオススメします。

 

 

 

第2位

『アンチグラビティ』

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「ロシア版インセプション」と謳われてるT-34 レジェンドオブウォーのVFXチームが送るSFアクション

感想はこちら↓

(誠意制作中)

 

・残念ポイント

「んで、結局なんだったの?」感

 

ロシア版インセプションと言われてたものの、正直最初の15分くらいしかそれっぽいシーンはなくそれ以外はどちらかといえば『ドクター・ストレンジ』っぽい縦横無尽な映像が盛り沢山で、大手のVFXチームがVFXを担当した割にはCG抜きの甘さが見えるくらい雑に感じたり、画面全体でアクションが起きるから目で追うだけで疲れるし、そもそもストーリーが変に絡み合いすぎて訳分からんしで観終わった後何も残らないような1本でした。

世界観の描き方とかはまあまあ面白いなと思いましたが、(確か)頻繁に夢の世界→現実→夢→現実…と往復するので「こいつがどう作用して…で、こいつは夢?現実?」と訳が分からなくなってしまったのでもう少しシンプルな構成にしても良かったのかな、と思います。

何となく3年後くらいにテレ東の午後のロードショーで放送されそうな感じのテイストでした。

 

 

さあ、そして個人的2020年残念映画ランキングの第1位は………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『実写版ヲタクに恋は難しい』です!!!!!

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文句なしの順位!納得の結果!おめでとうございます!

ヒロインの桃瀬と二藤が送るオタクへの偏見と共感性羞恥をたっぷり盛り込んだトンデモ恋愛作品

素晴らしい感想はこちら↓

https://filmarks.com/movies/80920/reviews/91984652

 

・残念ポイント

全て

恋愛モノでもコメディモノでもどっち付かずなまま送る2時間、その上体感5分に1回ぶち込まれる“““オリジナルミュージカルシーン”””という拷問タイム。

安っっっっすいストーリーと共感性羞恥を誘いまくる寒いミュージカルシーン、そしてオタク文化を理解したと言いつつも偏見と小馬鹿にしたような描き方は全てが地獄で個人的にはミッドサマーより地獄な恋愛映画でした。

早く歴史の闇に葬られて二度と現世に舞い戻ってこないでほしいくらい、この作品のせいで映画のミュージカルシーンが恥ずかしく思ってしまうくらい、最悪な作品でした。

 

 

という事で個人的残念映画ランキングトップ3でした。

是非、皆さんも残念映画ランキングつけてみてください(あと30分で2020年終わるけど…)

という事でまた来年お会いしましょう……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

ボロクソ言った『実写版ヲタクに恋は難しい』ですが、唯一菜々緒さんと若月佑美さんが可愛かったのでそれだけは救いでした(合計5分くらいしか出てないけど)


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2020年の個人的振り返り

「年末近くなったらブログ仕上げればいいや〜」と思い気がついたら12月30日

 

どうも、あすとろです。

 

もう2020年が終わろうとしてますよ…

個人的にも世界的にも色々しかなかった年でしたが皆さんはどうでしたでしょうか?

どんな人でも「良い1年だった」と言えない年だったと思います。

どんだけ拒んでも今の状況は変わりませんがせめて2020年の清算はしておこう、と思いブログでつらつらと今年の思い出を話そうかなと思います。

まあ、独り言程度にお聞きください笑

 

1月

・多分最高に人生を楽しんでた、このまま何も無いけど無難に楽しい一生を過ごすと脳内にいる人生設計部の部長は言ってた。

・プロメア年越しで幕を開けたこの月はシンカリオンにハマって多分映画はシンカリオンとプロメアしか観てなかった。(確かBBFLも観てた)


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2月

・職場の人から貰ったバレンタインチョコが美味しくてプライベートで普通に買いに行った。

・現場変わってシンプルに仕事が上手くいかなさ過ぎて色々嫌気刺し出た所にコロちゃんの頭角が現れ始めて全てが家と映画館以外で外に出たくなくなってた。

・この時くらいから「限界退勤バトル」を始めた。(詳しくはTwitterで「#限退」と調べてみてね)

・『フォードvsフェラーリ』にハマり埼玉県に住んでたのにわざわざ神奈川県の町田まで行って4DX+ScreenXで体感してた。

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3月

・コロナ君、進撃開始

・完全にサラリーマンに疲れて限界退勤バトルに本腰を入れる。

・ワイスピ公開延期でリアルにコールドスリープしたくなる

・『ハーレイクインの華麗なる覚醒』が公開されてウキウキで観る

・電車内に放置されたタピオカミルクティーが溢れて靴にめっちゃかかる


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4月

・完全なコロナ自粛開始

・結構お堅めな現場に変わり少しずつ心身共に不調になっていく

・『IMAX AKIRA』を観て映画納めしたf:id:Astro_07:20201231002406j:image

 

5月

・『フォードvsフェラーリ』のBlu-rayが届く

・仕事でリモートワークもクソも無くてめっちゃストレスしかなかった

・この時くらいから鬱が発症した記憶

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6月

・仕事を休職する

・映画館営業開始で正気を少し取り戻し、少しずつ映画館にまた通い始める

・たった1枚のムビチケを買ったのを機に、今後の人生を変えるような出会いを果たす。

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7月

・『アングスト/不安』が満を持して公開

(この時を境にミニシアター、小規模公開作品の力強さを味わった気がする)


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8月

・体調が治らないのもあり退職、ニート生活へ

・池袋新文芸坐にて『コマンドー ドンパチ応援上映』に参加、ここで後ほど人生を変えてくれる恩師なる方と再び遭遇する。

・母がレンタカーで自損事故を起こす。


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9月

・ステータスが「22歳、無職」へレベルアップ

・8月から映画館の求人に応募するも9連敗くらいする、昼から酒を飲んでは公園のベンチで泣きながら空を見る生活を2週間くらい続ける

・9/18に『TENET』最速上映で感動、TENET信者へ

応援上映イベントに参加する、そこで6月に出逢った恩師から「アルバイトからでよければ映画館で働いてみませんか?」と事実上のスカウトを受ける

(人生で初めて映画関係の人と話して、しかもそんな人から「一緒に働きませんか?」と声までかけてもらって正直ゲロ吐きそうなくらい嬉しかったです笑)


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10月

IMAXで『TENET』を体験してTENET過激派へ生まれ変わる

・母からの「明日無限列車編観に行くからついて来い」の一言で鬼滅の刃TV版一気見後、劇場版を観に行って一応流行りに乗る(これを機に一気見チャレンジがじんわり始まる)

・ゲーセン店員と映画館スタッフの二足の草鞋が始まる(無事、脱ニート)


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11月

・コロナの影響で掛け持ちしてたゲーセンの閉店が決まる

・いつも仲良くしてる関西の映画レビューアーさんと初エンカウント、バキコラボのお店へ

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12月

・最後にIMAXの『TENET』を摂取する

・色々仕事を覚えさせてもらって多少充実してきている

・職場の人たちと休憩室でクリスマスパーティーをする

・ハッピーデスデイ&2U上映会で久々の映画イベント体験

・ヌルッと一年が過ぎ去り過ぎて年越す実感のないまま終わろうとしている…


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こんな感じで誰得なのか分からない個人的な2020年の清算をしてみましたが、、、

 

意外と濃いな笑

それぞれ十人十色の人生があるとは思いますが、まあ誰とも被らない1年になったなと感じましたw

 

ここからは上記のまとめを踏まえた個人的な話になるのですが、半ば諦めていた「映画館の支配人になる」という夢に一歩近づけれたということ。

そして「映画館の中だけでしょ笑」みたいなドラマチックな展開(当社比)で映画業界へ誘って頂けて本当に嬉しい限りでした。

 

仕事で鬱になり、コロナで先も見えない不安を後押しするかのように仕事も決まらず…

夢どころか生きる事にも諦めかけていて昼から夜まで安酒をかっ喰らっては傷を舐め感情に浸る、みたいなロクな行動を1つもせずに生きてました。

「人生畳むならせめて誕生日迎えてからにするか」とヤケクソで生きたおかげで、恩師にあたる方からお声をかけて頂いて優しく色々と理解のある先輩方や上司の元で働ける環境に巡り会えました。

まだ鬱病は完全に完治(寛解)はしていなく、たまに無性に不安や手の震え、体の節々の神経の痛みなど症状は襲ってきます。

それでも「まだ生きてても良いな」と感じれるようには思考と言動も整ってきてると思ってます。

多少なりとも苦しさや痛みなど味わってる分、同じ境遇の人への理解などは分かる方だと思ってるのでいつかは自分が誰かを救えるような、心を救ってあげれるような人間になりたいな、と考えています。

 

こんな「独り言最強版」みたいなブログをご覧になってる方なんて日本の全人口のうち2人くらいだと思うので、多少クサイ事を書いても大丈夫かなとは思いますが来年はもう少しマシな人間になれてたら良いなと思った年の瀬でした。

 

結局、何が言いたいのか分からないオチになってしまった…笑

また次のブログでお会いしましょう……

2020年公開映画に感じた2つのトレンドについて

ぶっちゃけ、コロナは嫌い。

 

どうも、あすとろです。

 

気温も涼しくなり秋の匂いがしてきましたね〜

食欲の秋、読書の秋、運動の秋、逆行の秋…

逆行の秋といえば『TENET』ですよね!

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公開初日、0:00からの最速上映で観てきました。

個人的には大満足で最高の映画体験でした…

尽く大作映画が公開延期&配信限定という決断を下す中、本作はしっかり劇場公開してくれました。

個人的なテネットの感想たちです↓

Twitter

https://twitter.com/a_stro_07/status/1306652586049585153?s=21

・Filmarks

https://filmarks.com/movies/83583/reviews/97485327

 

数多のレビューアーさん達が詳しい考察や感想を上げてるのでそういうのを求めてる方々はそちらを見てほしいのですが、本作のテネットを観て今年の映画界を引っ張る要因というかトレンドの軸となるものを見つけた気がするので書き綴ろうかなと思います。

 

皆さんご存知の通りコロナの影響で公開延期どころか映画館の営業も大制限されてるこのご時世です、そんな中公開延期の穴を埋めるために“リバイバル上映”などが増え、最近だと少しずつコロナの脅威が弱まってきたおかげで数々の作品が公開してきています。

個人的な仕事の都合によりめちゃくちゃ暇な時間が増え、その都度コロナ対策を行いながら劇場に出向いて大作映画やミニシアター作品など観てきましたが「2020年の映画トレンドはこの2つだな」と感じました。

それが、

1,年代的エモーショナルさ

2,新しい映画体験

この2つだと感じました。

「はて?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、何故そう感じたのかを説明します。

※紹介する作品の中には本国で2018年など前に公開されたような作品も含まれていますが、今回は日本での公開日を基準としてお話させて頂きます、ご了承ください。

 

・年代的エモーショナルさ

ここ最近よく「エモいエモい」と聞きます、ぶっちゃけ「エモいとはなんぞや?」と思う人も少なくないと思いますが日本語で言うところの「感情的/感動的/情緒的」という意味です。

心を震わせるような感動的な映画は毎年毎年公開されてますが今年は“年代的”なエモーショナルさを感じさせる映画がヒットしている、また観た人に刺さる作品が多いと感じました。

まずここ最近の作品で例を挙げると『WAVES/ウェイブス』『ブックスマート』『アルプススタンドのはしの方』がそれにあたると感じています。

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この3作品は“学生時代の何とも言えないようなエモーショナルさ”を描いてる作品だと感じました。

具体的に言うと“挫折と再起”です。

WAVES/ウェイブス』は肩を負傷しながらも周りからの期待と己へのプライドのせいでレスリングを続け、結果挫折せざるを得なくなり家族を巻き込んだ不幸の道へと進む羽目になります。

また『アルプススタンドのはしの方』でも同じように過去に精算しきれていない“モヤモヤ”を抱えた部活もクラスもバラバラの4人が主軸となり物語を動かします。

ネタバレになるので抽象的な表現になりますが、『WAVES』はある一夜のせいで完全に崩壊した家族の関係が“小さな愛”により少しずつ癒えて行きます。

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また『アルプススタンドのはしの方』では4人の“しょうがない過去”を己の手で打破し精算する、という流れになります。

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そして『ブックスマート』では卒業式前夜に3年間ガリ勉してきた主人公2人が青春を取り戻すために奮闘する物語です。

こちらでは失恋だったり出会いと別れや、他者と比べる事で感じる“劣等感”などをポップながら鋭く描いています。

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ティーンをメインとした作品として余すところ無く感情的な部分を描いていますが、最終的には物凄く暖かく幸せなラストを迎えます。

ブックスマートも劇的な描き方こそしてませんが、失恋で挫折し再起する、友との別れで悲しむが再起するというような連続で物語が形成されてゆきます。

どちらの作品も話の展開や経緯は全く異なりますが3作品に共通するのはやはり“挫折と再起”です。

そこに学生ならではの活気や少し羽目を外したおバカさ、そして甘酸っぱい恋愛など繊細だけど大胆な感情にフォーカスをして描かれています。

色々な事情で学校に行けてないなどあったとしてもどなたも“学生として括られる時期”は通ってると思います。

分かりやすく“学校”という舞台設定を設けていると思いますが、上記3作品が持つメッセージはかなり普遍的です。

 

また同じ年代的エモーショナルな作品でも学校や学生という括りを取っ払った作品が『mid90s』です。

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本作の主人公のスティーヴィーは13歳で確実に学生である年齢なのですが、本編で学校に行くようなシーンは全くありません。

本作は初めて自分で好きになった物を受動的に探し始め、精神的に成長していく姿をスケボーを比喩として描いた作品です。

本作の方がより深い内面的な部分を描きつつ13歳という幼過ぎもせず、かと言って大人でも無い絶妙なところを上手く表現しています。

『mid90s』も最初はスケボーが下手で転びながらも練習し成長していく“挫折と再起”を描いています。

 

そして『カセットテープダイアリーズ』も違うベクトルでエモーショナルさ、ならびに挫折と再起を描いています。

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本作は“音楽”を軸とし、差別や家族の圧などにより夢を諦めそうになるがブルーススプリングスティーンという心の支えになる音楽と出会う事により挫折を乗り越え再起し夢に向かって進んでいく、という内容です。

ジャンルに違いはあるものの、大多数の方なら好きなアーティストと出会い影響された経験があるのではないでしょうか?

その“初めての出会い”を描きつつ、夢を追う事に対して肯定をしている作品でもあります。

 

上記の作品は10代という精神的変化が激しくデリケートな設定とプラスして“学生”というお陰で数多の失敗や挫折を経験しやすく、でも経歴などの傷は残りにくい舞台設定が上手く効いている作品に当たりが多いなと感じました。

これを聴いて「どこが年代的エモーショナルさなんだ?」と感じる方がいるかもしれませんが、実は大々的に表現をしています。

まず上記の作品それぞれが中学や高校の“学生時代”という“年代”を表現してます。

その上、音楽や映像で“年代”を表しています。

『カセットテープダイアリーズ』ではブルーススプリングスティーンで80年代を、

『mid90s』ではウータン・クランやバッド・ブレインズなどのヒップホップで90年代を、

WAVES/ウェイブス』ではカニエ・ウェスト、フランクオーシャンなどのヒップホップでテン年代を、

というように聴覚で“時代”を奏でているのです。

その年代で青春を過ごした方は音楽が流れれば問答無用でノれます、またその「ノれる」という事が当時を思い出すトリガーになり、そこに主人公の気持ちや葛藤などが合わさり“エモい”という感情になるのです。

音楽を知らなくても、当時の舞台背景を知らなくても単純に初めてその音楽触れる、つまり主人公と同じ気持ちになって観れる訳です。

逆に音楽も舞台背景も知っている方は記憶が蘇るところで楽しめる。

そこに監督のこだわりや個性を入れる事で良いエンタメに昇華するので“年代モノ”はこの現在だとある種最高のツールなのです!

 

もう既に長ったらしく書いてしまった…(ヤバイ)

年代的エモーショナルさについてはある程度認知していただけたと思います。

ということで次のテーマについてお話しさせて頂きます。

 

・新しい映画体験

ここ最近、VODサービスが普及し始めスポンサーに囚われないやり方で独自の作品を作るようなことが増えて来ました。(Hulu、NetflixAmazonプライム等々)

スクリーンと比べれば音響や画面サイズなど劣りますが映画館で1作品観るよりも安い金額で何本も見放題、しかもダウンロードでオフラインでも楽しめるようになってしまったこの現代で“映画館”と“VOD”を差別化するのは難しくなってきてます。

そこで出てくるのが“映画体験”なのです。

 

具体的に言うと映像や音とプラスして、4DXなどの動きでその感動やライド感を後押しする“アトラクション型”

そしてそもそもの“映像の撮り方”で世界観への入り込ませる“没入型”

以上の2つがあります。

 

まずはアトラクション型から。

アトラクション型の作品は分かりやすいので2つ、

『フォードvsフェラーリ

トップガン マーヴェリック 』です。

 

まず『フォードvsフェラーリ』ですが、本作は過去の4DX作品とは違い4DXとプラスしてScreenXでの上映も多かった作品です。

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ジェームズマンゴールド監督のこだわりもあり、通常スクリーンで観ても熱量や、レースのスピード感がとても感じられる作りでしたがそれと合わせて4DX+ScreenXでの上映もありました。

(ここで4DXやScreenXの説明をしてしまうとまた長くなるので割愛させて頂きます)

 

4DXにより冒頭のシェルビーのレースシーンでいきなり車の助手席に乗せられたような没入感を、

そして3面で映し出すScreenXで実際に運転席で運転している時の視覚と同じような体験ができます。

特別料金なので値段は割高になるものの、確実にホームシアタータブレットの画面だけでは味わえないのは間違いありません!

 

また結果公開延期してしまいましたが『トップガン マーヴェリック』も恐らく4DX上映があるのではないかなと見込んでます。

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というのも現代の撮影技術とプラスしてトムクルーズの体当たり戦闘機アクションが合わさった本作は4DX映え間違いなしの作品です(予告編でも既に迫力が違いますし)

なので現状、予定通り12月に公開された際は4DXを期待しても良いのかなと思います。

上記で説明して察した方もいらっしゃるかもしれませんが劇中で何かに乗るような描写があるととても4DX映えし“映画体験”となる訳です。

 

そして没入型の作品も分かりやすいので同じく2つ、

『1917 命をかけた伝令』

『TENET』です。

この2つは設定や撮影手法などのアイディアで4DXやScreenXなどを使わずとも観客を没入させる、世界観へ巻き込ませる作品です。

 

『1917 命をかけた伝令』はアカデミー賞でもノミネートされた事で知ってる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

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編集やカメラの撮影方法で1カット撮影に見せそれにより臨場感を持たせ没入させる、その上IMAX含め劇場の大画面のスクリーンで見る事によって自分も戦場の最前線に立ったように感じる“映画体験”を味わえる訳なのです。

 

そして今や映画好きの中で知らない人はいない『TENET』も“新しい映画体験”をはらんでいます。

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そもそもが賛否は分かれるものの映画界の革命児的なところがあり極限まで映像と設定共にリアルを突き詰めるノーラン、そんな彼の最新作です!

撮影方法などはいつも通りなのですが、本作は“設定”と“編集”により新しい映画体験を観客に味わせる、浴びせるというものです。

手法的にはとても古典的な、「逆の動きを逆再生する」というものですがその手法と動きを極限まで突き詰めたからこそ、今まで見た事のない“時間逆行”を味わいその新鮮さを活かしてエンタメとして昇華させた見事な一本です。

内容の賛否はあるものの「こんな映像は見たことない」という人は多いのではないでしょうか?

映画館の大きいスクリーンで“映画”というフィルターを通して“時間”を観る、普段当たり前のようにある概念を具現化させて味わうからこそ“新しい映画体験”になる訳です。

 

という事で長々と書いてしまいましたが、如何でしたでしょうか?

書いてて気づいたのですが、年々撮影技術やCGなども進化してる中で今回代表して紹介した作品は大体がCGなどに頼らず実際に行う作品がやはりウケは良いのかなとも感じました。

 

上記の作品以外にもまたジャンルの違った最高の作品は数多く存在するので、ぜひ感染予防がしっかり整った劇場で自分の好みの作品を見つけて、味わってみてください!

 

という事で今回はこの辺で、

ということでまたいつかお会いいたしましょう……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

こんだけ絶賛した後ですが今年公開の映画の中で唯一ワースト1位の映画があります。

どの作品とは言いませんが“何かが分かった”方だけ察してください・・・

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そんな映画の感想↓

https://filmarks.com/movies/80920/reviews/91984652

ちょっとだけ真面目な“生”のぼやき

どうもあすとろです。

 

ここ最近コロナや雨で気分が沈み、さらには見てる我々に笑顔や幸せを届けてくれた芸能人の方々の訃報によりとても苦しい日々が増えたような気がします。

深く真実を探ろうとすればするほど事実関係とは全く異なるであろう憶測に溺れてしまうのであまり起きた事に対しては探るつもりもありませんが、「誰にも言えない悩みを持っていたのかな…?」だったり「かなり追い詰められていたのかな」など無意識に思ってしまいます。

その真実を知っても誰かに止める事は出来たのだろうか?と言われてしまったら返す言葉はありませんが、今日流れてきた訃報で少しこれからの2次、3次被害が怖くなってしまったのでぼやきたいと思います。

自分の力など微々たるものに含めるのもおこがましい程大層な力はありません、でもこんなブログ見てるのはほぼTwitterのフォロワーさんだとは思います()

拙い言葉ばかりで本当に申し訳ないですが、そんなフラっと見に来てくださった方達の心に留まり自殺や“死”の思考のストッパーになれればこの上ないと思ってます。

お時間ある方は無理ない程度にお付き合いくださいませ。

 

まず初めに、自分は心の病気を持っています。

心療内科にも通って会社も休職し保険料などが払えないため辞めて今は事実上ニートです。

一応「自律神経失調症」と「不安障害」の2つの症状を診断されましたが、身体中の原因不明の痛みや手の震え、希死念慮や頻繁に意識が遠のくなどの症状があるので違う病院でも診てもらおうかなと悩んでる状態です。

「こいつ構われたいのかな」とか「そんなおっぱらぴーなお前が病気な訳ないだろ」とか思われたく無いので、なるべく普通に過ごして隠してはいました。

そういった無意識にそう思ってしまう慢性的な被害妄想もあるかもしれませんが、僕は“人に迷惑をかける、負担をかける”というのが凄く嫌いです。

「求職中のニートが何言ってんだ」と思われるかもしれませんが、今だとどうしても生活のため、月々の支払いなどで母などからお金を借りなければいけない事が増えその度に心が苦しくなり「こんな自分が負担、迷惑をかけている」という思考に陥ります。(映画などの娯楽費は過去に買ったチケットや自分の持ってるフィギュアなど売って作ったお金でやりくりしてます。)

毎回謝る僕に対して親だけでなく友人達からも「気にしなくていいよ」や「深く考えるなよ」とよく言われますし、そういう病気と無縁の方は「え、そんな程度で?笑」となるかもしれません。

実際そんな程度だ、と自分では分かっているもののそんな程度で自分で自分の事が殺したくなる程、死にたくなるほど憎くなります。

それが積み重なり自殺衝動に駆られる、ということが何度もありましたし恐らくこれからも何度もあると思ってます。

「こんな何もない自分を雇ってくれるところなどあるのだろうか?」や「また母に迷惑をかけてしまったらどうしよう」などの将来の不安、過去の事象への後悔、療養したいと思っても周りからは「ただの甘え」と思われていそうな不安。

今でも「これ以上迷惑をかけてしまうのなら」と思って良からぬ行動を取ってしまいそうになったことばかりです。

でも、どうにかこうにか取り繕って今まだ生きていれています。

ここまでズルズルと生きてこれてるのは、本当に関わり合った色んな人のお陰だと考えてます。

母はヘルニアでしんどい中、こんな自分に深い深い援助をしてくれています。感謝など到底しきれません。

だからこそ何もしてあげれていない、親不孝な自分が死ぬほど嫌いでふとした時に死にたいと考えていました、「どうせこんな時期にこんな身も心もボロボロのやつを雇ってくれるところなんてない。」そう思いながらも、「とりあえず9日の誕生日までは生きてやるか」と思っていました、そして誕生日の日になり沢山の方が「おめでとう」とお祝いしてくださりました。

お世辞でも本心でも、こんな奴の誕生日をお祝いしてくださった方が何人もいました。

その時に沈み切っていた心が少しだけマシな方に手を引っ張られたような気がしました。

そこから「あの人から布教されたソシャゲのイベント進めれてないや、進めよ」とか「この人が絶賛してた映画観てないから観よ」など本当に極々小さな“生きるための句読点”を意識するようになりました。

人生も、文章も句読点無しで書き綴られると一区切りつける場所がなくて疲れてしまいますからね。

そして元々チケットを買っていた某都内の映画館のイベントに参加した際にそのイベント自体の楽しさで希死念慮を遠ざけることが出来ました。

その上その劇場の宣伝担当さんが自分のことを認知してくださってたんです。

将来、映画館の支配人になりたいと思ってた自分にとってビジネス的な意味ではなく実際の映画館の社員さんとお話できるという事自体に嬉しさで感極まってしまいました…!

すこし話が逸れてしまいましたが、のんべんだらりと生きていたと思っていたものの実は色々影響をもたらしていたんです、なんか不思議ですよね人生って。

「人に迷惑をかけない」という一種の強迫観念で苦しめられていたのに、その思考から来る言動のおかげで自分の心を安らげた、という皮肉さを神から味わいました笑

 

つまり何が言いたいかというと何か行動を起こし殺すも、救うも自分だけという事です。

だからと言って「俺はこんなに苦しんでたんだ!でもいい事は必ずある!根性で耐えろ!死ぬな!」とは言いませんし言えません笑

根性でどうにかなってないから、ここまで悪化してますからね()

 

でも、確かに苦しいけどわざわざ死に急ぐ必要なんて無くないですか?

それまでこんな腐った世の中で必死こく必要はありません、緩く頑張ってノロノロと生きてみませんか?

自分も今“緩く頑張る”ということを練習しています。

多分このブログを見る人は数少ないと思いますが、そんな数少ない人が「あいつがなんか言ってたし、ほんの少しだけ生きてみっか」となってくだされば幸いです。

 

どうか皆さんの楽しき人生に幸あることを。

“現代風刺”と感じる昨今の映画について

『JOKER』は風刺映画に分類されるのか判断に迷いがち

 

どうも、あすとろでございます。

先日『カセットテープダイアリーズ』を観てきました。

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「こんなに暖かい物語…反則!」と終始ウルウルしてました…

そんな感想は置いときまして、カセットテープダイアリーズは1987年のイギリスで移民してきたパキスタン系の高校生ジャベドがブルース・スプリングスティーンの曲を聴いて人生に光が差し込んでいき…というストーリー。

 

本作を観てる最中、そして観終わった後にちょくちょく考えていたのは「実話とは言え、凄い“今”っぽく感じる人種差別風刺映画だなぁ」と感じました。

とても感動し批判する部分など1mmも無い素晴らしい作品だったのですが何故か小骨が喉につっかえるような気分でした。

寝ても覚めてもその考えは消えず、ブルース・スプリングスティーンの「Cover me」を聴けば聴くほどモヤモヤは増すんです()

そのモヤモヤの正体の片鱗がやっと分かった気がするので書き綴ろうかと思います。

 

結論を言うとそのモヤモヤは…

「今も昔もつまらん理由でくだらないことを繰り返してるなぁ」ということ。

想像しやすいのだと人種差別だと思います。

まあ差別、特に異人種に対して色眼鏡を持ってない方にとっては「差別しないの当たり前やろ」と思われてるかと思います。

日本ではあまり人種間における差別は少ないと思いますが、海外だと人種間差別は大きい問題にもなってるとニュースでも映画のようなエンタメ媒体でも顕著に現れてます。

分かりやすいのだと『ブラック・クランズマン』や『黒い司法』『私はあなたのニグロではない』が分かりやすいかと思います。

また人種の差別だけでなく戦争の愚かさなども嫌というほど各エンタメ媒体で取り扱ってるのにも関わらず争うことをやめません。

ジョジョ・ラビット』『硫黄島からの手紙』また9月11日に『ミッドウェイ』も公開されます。

アメリカンスナイパー』『ハート・ロッカー』なども命の尊さ、争いの醜さを描いていてNetflix限定ではありますが『タイラーレイク』は争いの醜さ以外にも少年が銃を持ち戦う現代のスラムを描いていました。

格差社会”という意味ではアカデミー賞カンヌ映画祭でもパルムドールを受賞した『パラサイト』や『JOKER』などが映画に疎い方でも名前だけは知ってるという人もいるかと思います。

どんだけ映画で数多の人の心を動かす作品を作っても貧困格差は止まらない、つまらん小競り合いも終わらない、人種差別の溝は深まるばかり。

自分も同じ人ですが「人間は本当愚かだなぁ」と日々のニュースでも、こうやって改めて考えても感じました。

 

なんか凄い現代を切るような文を書いてしまいましたが、要するに「現代社会を映してるような風刺映画だ!」と一概に言えるような社会になってしまってどこか切なく、そしてそんな感想しか出てこない自分の語彙力と知識の薄さに少し落胆してしまったって話です(知らんがな)

「この今の時代に改めて伝えたい!」という解釈にもなりますが、それだけ良くも悪くも時代の流れに警笛を鳴らす作品も増えてるという事なんですよね。

強いメッセージで骨太な作品も多いですが、その分観てる我々が変わらないといけないんだなと深く深く感じる今日この頃、というお話でした。

最後に『ブラック・クランズマン』で好きな曲と深く考えさせる画像を置いて置きます。

https://youtu.be/mfYkhQblYjY

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おまけ

『カセットテープダイアリーズ』のサントラとしても使われているブルース・スプリングスティーンのCover meは最高な曲なので是非聴いてください。

https://youtu.be/dkaSxmvZnGs

 

あわよくば映画も観てください。

後悔させません、お願いします。

http://cassette-diary.jp/

アングスト/不安を観て感じた事と考察。

犬は無事だけど心は大怪我

どうもあすとろでございます。

 

こんなご時世なのに連日満席、公開当初は小規模だったのにも関わらずあまりの反響に公開拡大と日本人の精神状態が心配になる話題の作品、「アングスト/不安」なのですが、色々と考察など考える余幅が広く感じたのではてなブログの方でひとまとめにしてつらつらと書こうかなと思います。

https://eiga.k-img.com/images/movie/93074/photo/7251a2f313b41298/160.jpg?1591684536


 

ただ無意味に考えを羅列しても見づらいし何が言いたいか自分でも分からないので、

・映像

・年代

・音楽

・それを踏まえたメタファーと世論

の4つの視点であーだこーだ話したいと思います。

※後半の「それを踏まえたメタファーと世論」の章でオチではありませんが、作品の終盤について触れている箇所があります。

本編鑑賞済みの方or多少情報バレしてもOKという方はご覧ください。 

 

・映像

本作は1983年製作のオーストリア映画ですが当時上映した時点で鑑賞中に嘔吐や気分が悪くなる観客が続出、上映1週間でオーストリアでの上映打ち切り、ヨーロッパ全土で上映禁止、イギリスやドイツではビデオの販売禁止、アメリカでは「XXX指定」を受け配給会社が逃亡したほどの作品です。

描写としての過激さは「ホステル」や「セルビアン・フィルム」などに比べたらグロ描写も少なく、映像的なインパクトも控えめです。

ですが全体的に陰鬱な雰囲気と理解できないような動機、そして倫理的な過激さをはらむ映像でほぼ封印されていたのも納得です。

 

ただその殺人シーンはよくあるスプラッター作品とは違い、エンタメ的な描写ではなく必要な描写として殺人シーンを映しています。しかもその映像も長回しでカットも少ないためとことん人の不快感を高めさせます。カメラワークは現代の映画でもないような徹底的に主人公とリンクさせ、しっかり居心地は悪いけど見入ってしまう映像でした。

https://i0.wp.com/xn--u9j1gsa8mmgt69o30ec97apm6bpb9b.com/wp-content/uploads/2020/07/cc6bb9140a3c394e57a4ed04844b3148-2.jpg?ssl=1

ただ恐らくそんな映像表現は”あえて”狙ったものだと感じていて監督であるジェラルド・カーゲルは「この映像表現なら最大限、主人公の心理状態にリンクできる」と睨んでいたんでしょうね。

主人公の目に文字通り”目いっぱい”クローズアップしたり、主人公とカメラを固定し、より主人公とリンクできるような表現にしたり当時の他の映画とは全然違うカメラワークばかりでした。

初製作作品が本作であったため、本国オーストリアでは批判され軽蔑され終いには借金をしてしまい監督業としては成功しませんでした。ですが後に教育番組やCMなどの映像制作に転身し成功を収めています。

つまり映画の内容はとても非難されましたが、撮影手法などは革新的で後に理解され通用し評価されたのです。

そうなんです、当時は革新的過ぎたんです。

ということで次は1980年代の時代背景を織り交ぜて考えてみましょう

 

・年代

当時、1980年代でヒットした有名作品と言えば

ブレードランナー」「プレデター」「トロン」

バットマン」「ダイハード」「バックトゥザフューチャー」またスリラー系だと、「シャイニング」「遊星からの物体X」などいつの時代でも根強いファンがいる名作揃いで、アクションもありますが主にSF作品が印象的です。

 

ただ本作を観て感じると思いますが、アングストはどの作品とも一致しない特殊な作品なんです。

個人的に感じたのだと唯一、シャイニングがBGMの使い方が似てるかなとは感じました。

ですが本作は言わば“史実映画”で、多少脚色してるとはいえ殆どが事実通りに再現されています。

どこか80年代の美しい楽しい部分を映した“陽”な作品が多い中で、アングストは風化してしまい歴史に埋もれて終われかねない“陰”な部分を映したんだなと思いました。

 

1980年代から“インターネット”という存在が認知されはじめ、サイエンスフィクションやその派生としてサイバーパンクが流行り始め、その流行り始めたサイバーパンクと1970年代に文化的な流行を遂げた“ディスコ”、その二つが掛け合わさり音楽のジャンルにもサイバーパンクやテクノなどが生まれました。

本作の作曲を担当したクラウス・シュルツはシンセなどを使用した電子音楽の作曲をしていて1988年に発表した「エン・トランス」は後の“トランス”の語源にもなったほどの影響がありました。

クラウス・シュルツ自身映画のサウンドトラックは1977年の一度しか担当したことはありません。(後に1994年にフランス映画でサントラ製作しましたが合計その3回しか映画のサントラに関わっていません…)

元々タンジェリン・ドリームのメンバーだった(1年間だけだけど)のもあり多少知名度はありました、ですが当時で言えばシャイニングの音楽を担当したウェンディ・カルロスや遊星からの物体Xエンニオ・モリコーネなどがいたと思います、どうしてもほぼ自腹で製作したこともあり予算的に中々名の知れてる作曲家に頼めなかったのもあると思いますが何故クラウス・シュルツに依頼したのでしょうか?

監督のインタビューでは「個人的に好きで聴いていて、ミュンヘンで出会ったときすぐに打ち解け脚本を渡し作曲してもらった」と書いてあります。

自分も好きだし、仲良しだから多少は…ということで頼んだかもしれません(お金もそこまでかからないだろうし・・・)

ですがそこにはまた違うこだわりがあると自分は感じました。

ということで音楽の面から考えていきます。

 

・音楽

まず、映画的な音楽の話は別にして80年代の音楽は音楽に興味がない人でも知っているような曲が数多く生まれています。

キングオブポップのマイケルジャクソン、ボヘミアンラプソディで有名なクイーン、マドンナ、ボンジョヴィ、バナナラマヴァン・ヘイレンetc…と挙げたらキリがないほどポップスやディスコソングの全盛期でした。

そんな中、当時まだ主流ではないシンセサイザーなどを多用したトランス、テクノ系であるクラウス・シュルツの楽曲を採用したのか?

まぁ、アングストの内容的に華々しいポップスは絶対に相性はよくないのでそもそも選択肢として入っていなかったでしょうがシュルツの独創性、そして楽曲の組み立て方が関係していると睨みました。

当時ディスコソングやポップスが流行っていた中でトランスやテクノとして楽曲を作り続けていました(そもそも所属してたタンジェリンドリームがその系統だったんで相当自分の作りたい曲と相反していなければそのままのノウハウが生かせれるテクノを作るのは自然かと思います。)

上記したように当時では時代が追い付いておらず革新的すぎたのです。

だからこそまだ80年代では斬新だったシュルツのテクノ系楽曲を使用したのではないかな、と思います。

また楽曲の作り方も関係してると記しました。

1977年のWDR Kölnというライブ映像から伺えるように、シュルツのライブでの音楽の組み立て方は周りに何台もシンセサイザーを並べ、一人で黙々と音楽を作っていってます。

https://lh3.googleusercontent.com/proxy/mHecl7YppSleD85CzL_EGI12fPLwrhFFlZ98-sJrUuFNCe_SJNMVXwsRleiiurjh9kHCQlMmyBlKujWx1cebeLWLiIndGo7jduiW

YouTube参照(https://youtu.be/Kgt-D3tFMaQ)

 

またシュルツの楽曲は非常に長いです、一曲で10分を超えるとかはザラにあります。

劇中の映像的にワンカット、特に殺害シーンのカットが長いのでそういう意味でも一曲の尺が長いシュルツの曲は適していたのかなと。

映画作りの観点、当時の時代性からくる内容の倫理の観点、独創性の観点、その3つを踏まえるとシュルツの音楽作りと完全ではないしろ、どこか重なる部分は感じました。

誰が何と言おうと自分の作りたいものを作る、それが映像か音楽の違いかだけだと感じています。

アングスト自体も現代になってその面白さを気付く人が増え、再評価されつつありますし、クラウス・シュルツ自身も「トランス」というジャンルを築くほどになりました。

つまり監督のジェラルド・カーゲルはある程度、先を見通して製作したのではないかなと。

「映画」というある意味廃れないタイムカプセルにメッセージと史実を込め、未来に送り出したのではないかなと・・・

パンフレットのインタビューでは「製作した数年後に時代を先取りしすぎた」と語っています。

監督自身、「当時のオーストリア映画はつまらなかった」と言っているのでまあ薄々感づいてはいたのかなと感じます笑

 

・それを踏まえたメタファーと世論

長々と書き綴ってきましたが最後はメタファーと世論について話していきます。

前半の仮釈放のシーン、最初二人で歩いてる時は「コツンコツン」と揃った音なのに次第に「コツンコツコツン」と両者の足音がズレていきます。

統合失調症の主人公は少なからず世間と同じ歩幅で歩めていません、幼少期から動物への虐待や母を殺傷した時点で“健全”ではない事は分かります。

虐待の影響もあり正常な思考が無い、つまり周りとのズレがある訳です。

(※ここでは作中の設定としての統合失調症について触れています、実際に患っている方への誹謗や中傷ではありません)

また後半の死体を積んで車を走らせた直後、他の車とぶつかってしまうシーン。

事故が起きた直後で現場がどうであれ危険なのにも関わらず近寄ってくるシーン、普通事故が起きたら安全のため離れる、とくに老婦人は子供が近くにいるんだから自分が迫るにしても子供達は「危ないから下がってなさい!」と言うと思うんです。
ですが大人子供関係なく寄ってたかって冷たい視線を向けながら「降りてきなさい!」「責任を取れ!」と叫んでくる、それに対して主人公は「放っておいてくれ!!!」と叫びます。

お国柄や時代背景が大きく絡んでいると思いますが、中々事故って開口一番に「責任を取れ!」はやや肝が据わりすぎている気はします。

おそらくそれは本作の犯罪は置いておいて、統合失調症に限らず障害を持つ者への世の中の偏見、世論がメタファーなのかなと。


主人公のKは人殺しをしてしまっているのであまり信憑性を感じませんが、何の罪も犯していない障害、持病を持った人と置き換えてみるとどうでしょう?
「障害を持っているから」という理由で色眼鏡をかけ無意識の差別を受け「他の人と同じようになりなさい」「普通の人と同じレベルにまで上がりなさい」と一概に言われる。
自分はしたくなくても病気の症状などで何か起こしてしまえばミスとして咎められ「責任を取れ!」と責められる、わざとではないのに。

https://img.youtube.com/vi/8VtdfBsPdB0/0.jpg

なのでシーンとしてはほんの数分ですが、ものすごく現代的な障害偏見を描いているように思えたシーンに感じました。

あまりメタファーにも思いにくいシーンではありましたが()

 

ということで長々と話していましたが以上が「アングスト/不安」を観て感じたことと考察でした。

 公開からだいぶ日にちが経ってますが色々下調べで時間がかかって後回しにしてました……本当すいません。。。

次は「WAVES/ウェイブス」について色々書こうと思うのでそれも宜しければご覧ください。

ということでまたいつかお会いいたしましょう・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

シネマート新宿で鑑賞したのですが、ジャン公は無事でした。

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