アングスト/不安を観て感じた事と考察。
犬は無事だけど心は大怪我
どうもあすとろでございます。
こんなご時世なのに連日満席、公開当初は小規模だったのにも関わらずあまりの反響に公開拡大と日本人の精神状態が心配になる話題の作品、「アングスト/不安」なのですが、色々と考察など考える余幅が広く感じたのではてなブログの方でひとまとめにしてつらつらと書こうかなと思います。
ただ無意味に考えを羅列しても見づらいし何が言いたいか自分でも分からないので、
・映像
・年代
・音楽
・それを踏まえたメタファーと世論
の4つの視点であーだこーだ話したいと思います。
※後半の「それを踏まえたメタファーと世論」の章でオチではありませんが、作品の終盤について触れている箇所があります。
本編鑑賞済みの方or多少情報バレしてもOKという方はご覧ください。
・映像
本作は1983年製作のオーストリア映画ですが当時上映した時点で鑑賞中に嘔吐や気分が悪くなる観客が続出、上映1週間でオーストリアでの上映打ち切り、ヨーロッパ全土で上映禁止、イギリスやドイツではビデオの販売禁止、アメリカでは「XXX指定」を受け配給会社が逃亡したほどの作品です。
描写としての過激さは「ホステル」や「セルビアン・フィルム」などに比べたらグロ描写も少なく、映像的なインパクトも控えめです。
ですが全体的に陰鬱な雰囲気と理解できないような動機、そして倫理的な過激さをはらむ映像でほぼ封印されていたのも納得です。
ただその殺人シーンはよくあるスプラッター作品とは違い、エンタメ的な描写ではなく必要な描写として殺人シーンを映しています。しかもその映像も長回しでカットも少ないためとことん人の不快感を高めさせます。カメラワークは現代の映画でもないような徹底的に主人公とリンクさせ、しっかり居心地は悪いけど見入ってしまう映像でした。
ただ恐らくそんな映像表現は”あえて”狙ったものだと感じていて監督であるジェラルド・カーゲルは「この映像表現なら最大限、主人公の心理状態にリンクできる」と睨んでいたんでしょうね。
主人公の目に文字通り”目いっぱい”クローズアップしたり、主人公とカメラを固定し、より主人公とリンクできるような表現にしたり当時の他の映画とは全然違うカメラワークばかりでした。
初製作作品が本作であったため、本国オーストリアでは批判され軽蔑され終いには借金をしてしまい監督業としては成功しませんでした。ですが後に教育番組やCMなどの映像制作に転身し成功を収めています。
つまり映画の内容はとても非難されましたが、撮影手法などは革新的で後に理解され通用し評価されたのです。
そうなんです、当時は革新的過ぎたんです。
ということで次は1980年代の時代背景を織り交ぜて考えてみましょう
・年代
当時、1980年代でヒットした有名作品と言えば
「バットマン」「ダイハード」「バックトゥザフューチャー」またスリラー系だと、「シャイニング」「遊星からの物体X」などいつの時代でも根強いファンがいる名作揃いで、アクションもありますが主にSF作品が印象的です。
ただ本作を観て感じると思いますが、アングストはどの作品とも一致しない特殊な作品なんです。
個人的に感じたのだと唯一、シャイニングがBGMの使い方が似てるかなとは感じました。
ですが本作は言わば“史実映画”で、多少脚色してるとはいえ殆どが事実通りに再現されています。
どこか80年代の美しい楽しい部分を映した“陽”な作品が多い中で、アングストは風化してしまい歴史に埋もれて終われかねない“陰”な部分を映したんだなと思いました。
1980年代から“インターネット”という存在が認知されはじめ、サイエンスフィクションやその派生としてサイバーパンクが流行り始め、その流行り始めたサイバーパンクと1970年代に文化的な流行を遂げた“ディスコ”、その二つが掛け合わさり音楽のジャンルにもサイバーパンクやテクノなどが生まれました。
本作の作曲を担当したクラウス・シュルツはシンセなどを使用した電子音楽の作曲をしていて1988年に発表した「エン・トランス」は後の“トランス”の語源にもなったほどの影響がありました。
クラウス・シュルツ自身映画のサウンドトラックは1977年の一度しか担当したことはありません。(後に1994年にフランス映画でサントラ製作しましたが合計その3回しか映画のサントラに関わっていません…)
元々タンジェリン・ドリームのメンバーだった(1年間だけだけど)のもあり多少知名度はありました、ですが当時で言えばシャイニングの音楽を担当したウェンディ・カルロスや遊星からの物体Xのエンニオ・モリコーネなどがいたと思います、どうしてもほぼ自腹で製作したこともあり予算的に中々名の知れてる作曲家に頼めなかったのもあると思いますが何故クラウス・シュルツに依頼したのでしょうか?
監督のインタビューでは「個人的に好きで聴いていて、ミュンヘンで出会ったときすぐに打ち解け脚本を渡し作曲してもらった」と書いてあります。
自分も好きだし、仲良しだから多少は…ということで頼んだかもしれません(お金もそこまでかからないだろうし・・・)
ですがそこにはまた違うこだわりがあると自分は感じました。
ということで音楽の面から考えていきます。
・音楽
まず、映画的な音楽の話は別にして80年代の音楽は音楽に興味がない人でも知っているような曲が数多く生まれています。
キングオブポップのマイケルジャクソン、ボヘミアンラプソディで有名なクイーン、マドンナ、ボンジョヴィ、バナナラマ、ヴァン・ヘイレンetc…と挙げたらキリがないほどポップスやディスコソングの全盛期でした。
そんな中、当時まだ主流ではないシンセサイザーなどを多用したトランス、テクノ系であるクラウス・シュルツの楽曲を採用したのか?
まぁ、アングストの内容的に華々しいポップスは絶対に相性はよくないのでそもそも選択肢として入っていなかったでしょうがシュルツの独創性、そして楽曲の組み立て方が関係していると睨みました。
当時ディスコソングやポップスが流行っていた中でトランスやテクノとして楽曲を作り続けていました(そもそも所属してたタンジェリンドリームがその系統だったんで相当自分の作りたい曲と相反していなければそのままのノウハウが生かせれるテクノを作るのは自然かと思います。)
上記したように当時では時代が追い付いておらず革新的すぎたのです。
だからこそまだ80年代では斬新だったシュルツのテクノ系楽曲を使用したのではないかな、と思います。
また楽曲の作り方も関係してると記しました。
1977年のWDR Kölnというライブ映像から伺えるように、シュルツのライブでの音楽の組み立て方は周りに何台もシンセサイザーを並べ、一人で黙々と音楽を作っていってます。
YouTube参照(https://youtu.be/Kgt-D3tFMaQ)
またシュルツの楽曲は非常に長いです、一曲で10分を超えるとかはザラにあります。
劇中の映像的にワンカット、特に殺害シーンのカットが長いのでそういう意味でも一曲の尺が長いシュルツの曲は適していたのかなと。
映画作りの観点、当時の時代性からくる内容の倫理の観点、独創性の観点、その3つを踏まえるとシュルツの音楽作りと完全ではないしろ、どこか重なる部分は感じました。
誰が何と言おうと自分の作りたいものを作る、それが映像か音楽の違いかだけだと感じています。
アングスト自体も現代になってその面白さを気付く人が増え、再評価されつつありますし、クラウス・シュルツ自身も「トランス」というジャンルを築くほどになりました。
つまり監督のジェラルド・カーゲルはある程度、先を見通して製作したのではないかなと。
「映画」というある意味廃れないタイムカプセルにメッセージと史実を込め、未来に送り出したのではないかなと・・・
パンフレットのインタビューでは「製作した数年後に時代を先取りしすぎた」と語っています。
監督自身、「当時のオーストリア映画はつまらなかった」と言っているのでまあ薄々感づいてはいたのかなと感じます笑
・それを踏まえたメタファーと世論
長々と書き綴ってきましたが最後はメタファーと世論について話していきます。
前半の仮釈放のシーン、最初二人で歩いてる時は「コツンコツン」と揃った音なのに次第に「コツンコツコツン」と両者の足音がズレていきます。
統合失調症の主人公は少なからず世間と同じ歩幅で歩めていません、幼少期から動物への虐待や母を殺傷した時点で“健全”ではない事は分かります。
虐待の影響もあり正常な思考が無い、つまり周りとのズレがある訳です。
(※ここでは作中の設定としての統合失調症について触れています、実際に患っている方への誹謗や中傷ではありません)
また後半の死体を積んで車を走らせた直後、他の車とぶつかってしまうシーン。
事故が起きた直後で現場がどうであれ危険なのにも関わらず近寄ってくるシーン、普通事故が起きたら安全のため離れる、とくに老婦人は子供が近くにいるんだから自分が迫るにしても子供達は「危ないから下がってなさい!」と言うと思うんです。
ですが大人子供関係なく寄ってたかって冷たい視線を向けながら「降りてきなさい!」「責任を取れ!」と叫んでくる、それに対して主人公は「放っておいてくれ!!!」と叫びます。
お国柄や時代背景が大きく絡んでいると思いますが、中々事故って開口一番に「責任を取れ!」はやや肝が据わりすぎている気はします。
おそらくそれは本作の犯罪は置いておいて、統合失調症に限らず障害を持つ者への世の中の偏見、世論がメタファーなのかなと。
主人公のKは人殺しをしてしまっているのであまり信憑性を感じませんが、何の罪も犯していない障害、持病を持った人と置き換えてみるとどうでしょう?
「障害を持っているから」という理由で色眼鏡をかけ無意識の差別を受け「他の人と同じようになりなさい」「普通の人と同じレベルにまで上がりなさい」と一概に言われる。
自分はしたくなくても病気の症状などで何か起こしてしまえばミスとして咎められ「責任を取れ!」と責められる、わざとではないのに。
なのでシーンとしてはほんの数分ですが、ものすごく現代的な障害偏見を描いているように思えたシーンに感じました。
あまりメタファーにも思いにくいシーンではありましたが()
ということで長々と話していましたが以上が「アングスト/不安」を観て感じたことと考察でした。
公開からだいぶ日にちが経ってますが色々下調べで時間がかかって後回しにしてました……本当すいません。。。
次は「WAVES/ウェイブス」について色々書こうと思うのでそれも宜しければご覧ください。
ということでまたいつかお会いいたしましょう・・・
おまけ
シネマート新宿で鑑賞したのですが、ジャン公は無事でした。