『Arc/アーク』の考察とか色々
永遠の命を手に入れたらシニア割引とかどうなるんだろう…
どうもあすとろと申します。
試写会に当選していたものの大量の迷惑メールの山に埋もれ6/11締め切りのメールを6/24に発見する事件が起きガックシ来てたところ、心優しい方から舞台挨拶のチケットを譲って頂きまして図らずしも初日舞台挨拶でArc/アークを観てきました。
作品の感想はこちら
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Filmarks→【誠意製作中】
久々にキャスト登壇の舞台挨拶に参加してテンション上がりつつ、監督たちのお話も聞けてとても作品の理解度が深まったように感じました。
SF風味のヒューマンドラマながら非常に考察し甲斐のある作品かつ、なんかスイッチが入って色々思うところがあったのでつらつらと書き綴ります。
※以降『Arc/アーク』のネタバレに触れています。
これからご鑑賞される方やネタバレお聞きになりたくない方は鑑賞後にご覧ください。
では、いきます。
・そもそもアークとは?
4つの「Arc」という英単語があります。
1、arc … 円弧(円周の一部分)
2、ark … 箱舟(屋根がある家のような船)
3、arch- … 第一の、首位の(接頭辞)
4、-arch … 支配者(接尾辞)
(意味まとめ様から引用)
恥ずかしながら原作をまだ読んでいないのでどこまでがケン・リュウ氏の意図で、どこまでが石川監督の意図なのか分からないのですが少なくとも本作自体は全ての“アーク”に当てはまっていると思います。
1,永遠の命を手に入れ無限に続く命の円環の一部分という意味での円弧(アーク)
2,本編で天音が度々口にしていた「船」や利仁が修繕しそのまま乗って旅立った「船」、そもそも人類の進化としても意味を成している箱舟(アーク)
3,リナの不老化処置と永遠の命を諦める先駆者という意味の第一(アーク)
4,動物界と地球の頂点に立つ者として、そして永遠の命で今までの概念を覆す支配者(アーク)
全てのアークが円環として繋がる事で「リナ」としての一つの物語が生まれる。
そういう意味では題名であり、ある種の題材でもある「Arc/アーク」はこれ以上ない相応しい言葉だと思いました。
・「アーク」を踏まえてのタイトルロゴについて
少し脱線しまして、タイトルロゴを見て「もしかしてそういうことか…?」と感じた事について語ります。
この「Arc」という文字、シンプルに印象的なフォントなのですがこの“文字”自体にも意味があるように感じました。
ただの「A」と「r」と「c」という文字ですが個人的にはキーとなるキャラクターを表しているのではないかと思いました。
「A」は利仁を、「r」は天音、「c」はリナを表していると思います。
・利仁
この「A」ですが一見三角形にも見えます、でも始点に繋がる事なく途切れています。
これは利仁の一生を表していると感じて、利仁自身この世に生まれ、最後は海に出たまま突然消息不明になります。
もし利仁が海に出なかったまま寿命を迎えたらどうなるでしょう?
リナの元から生まれ成長し最後はリナのそばで亡くなる事でしょう、ですが利仁は結局リナの元から離れ消息が分からなくなります。
つまり上記の「A」の文字のように始点(リナの元)に戻る事なく亡くなるのです。
また、もし利仁が不老化処置を行う事になればリナの元(始点)に物理的に戻る事になり三角形として繋がっていた。
そして処置をすれば永遠の命が続いて三角形として永遠の循環が生まれていました。
ですが利仁は自らの意思で処置を行わない選択をしています。
つまり、始点に戻らず循環が起きないまま途切れてしまっている訳です。
・天音
天音は不老化処置を行いながらも亡くなってしまったキャラクターです。
「r」という文字は道が分岐しているようにも見えます。
天音は精子として自らの想いを残し、ハルへ継承していき、逆にハナは幼少期の段階で不老化処置を行う話が出ています。
両者とも始まり(始点)は同じでも、ハルは永遠の命を得て円弧を描き始めようとしていて、天音は寿命により命を落とし線が途切れる、枝分かれした「生」を表しているのではないかなと感じました。
また、余命が発覚した際「治療を受けるか、精子の冷凍か」という2択で「生」の分岐があったという面でも「r」という文字に相応しいのは天音だと感じました。
・リナ
言わずもがな、永遠の命を手に入れ円弧(アーク)として続く意味で「c」はリナを表していると感じました。
結論としてリナは永遠の命を手放しましたが、手放していなければ135歳を超えてもずっとずっと生きたはずです。
円弧のように続いていた命、そして円弧のように続いていた命が終わり半円のような形として表され「c」の字のように表されているのかなと思いました。
またすべてが始点であり終点である円弧はリナの人生とも合致します。
どのタイミングでも”自分の人生”を始めれたのに始めたタイミングは153歳になってから、逆に不老化処置をやめたのも153歳になってから。
早々に天音を失っているため、どんなタイミングでも始点と終点を打てれるリナの人生と円弧の形が合致する訳です。
長々と脱線、考察してきましたが個人的には「Arc」という言葉は想像以上に幅広く意味が込められているように感じました。
さて、ここからは劇中や予告編などのセリフから気になった部分をピックアップして考察しようかなと思います。
・永真のセリフにて
「抵抗、死への抵抗」
→単純に永真の死生観が分かるセリフでした。
予告編を見た時から「死”へ”の抵抗」という言葉がどうも引っかかっていたのですが、過去の死の経験から「息の根が止まる=死」ではなく「腐りきり何も残らなくなる=死」なのだなと思いました。
プラスティネーションにより肉体が滅ぶことなく維持される、その先駆者が永真というのも非常に納得のいく展開だなとも感じました。
・特報にて
「私は世界に触れる」
→この世の理「生と死」に触れるということなのかなと。
初めてプラスティネーション加工された遺体に触れるシーンとメロスを埋葬するシーン、そして最後のシーン
前者は「死」に触れることで「生」を感じるということ。
ちょっと前まで生きていた物に触れることで死を感じ「生きていた」ということを感じ、後者は海辺の潮風に手をかざして生き生きとした地球の息吹を感じることで「死」を実感する。
つまり、逃れられないこの世の理が「世界」でありその「世界」に触れる、そして死という決断を下したのではないかなと思いました。
恐らく見返したら気になる部分がまだ出てきそうなので、一旦これぐらいにしておきます。
・演出や展開についての感想
監督だけでなく脚本や編集まで石川監督が手掛けたということで、その感想だったり色々を綴ろうと思います。
・モノクロの映像
89歳のシーンから突然全編モノクロの映像に変わります。
正直、カラーの映像でも問題はないと思うのですが、モノクロにした理由として監督は「物語を転調させたかった」と仰っていました。
ですが個人的にモノクロにした理由は物語の転調だけでないようにも感じました。
それは、
・リナの深層心理の表現
・人生経過としての表現
です。
89歳のリナはどこか虚ろなようにも感じ取れます。
天音を失った悲しさにより立ち直れておらず子供たちと接するのは楽しいものの、どこか感情が沈み切ってしまっている部分がありそこをモノクロで表現したのかなと。
またそれも併せて、89歳のリナはまだ自分の人生を歩んでいるつもりで歩めていません。
呪縛に縛られたまま人生が過ぎてゆく、取り残されている気持ちがモノクロで表されているのかなと感じました。
・海辺の使い方の上手さ
基本的にリナと利仁の親子の物語が大きく動くシーンでは常に海があります。
リナが利仁を捨て自由になったシーン、リナから利仁が生まれたシーン
天音の庭を作ることをリナに伝えるシーン、リナと利仁と再会するシーン、リナが死を感じるシーン等…
海は母性の象徴でもあります、母なる海で生まれ母なる海で死ぬ。
そういう意味では海の使い方は非常に上手いな、と感じました。
【総括】「触れる」ことで始まる物語と「触れて」終わる物語
冒頭、リナは空に手をかざし”世界”に触れて物語が始まります。
そして終盤年老いたリナは手をかざし触れた”世界”を握りしめ、自分に取り込み物語が終わります。
上記でも書いた通りリナは年を重ねることで”世界”に触れ自分の生きる場所を見つけ、”世界”に触れたことで世の理を感じ受け止めることで自分の死ぬ場所を見つけることでリナとしての円弧(アーク)が完成する、ということなのです。
と、いうことで長々と考察やら感想をまとめてきました。
正直これで作品の全貌が理解できたとは思えないですが、何故か理解できないモヤモヤは残らずスッキリとした終わり方で個人的にはお気に入りの作品でした!
また何回か鑑賞して思ったことがあったらその都度発信しようかなと思います。
ということでまたどこかでお会いしましょう・・・
おまけ
舞台挨拶のキャスト登壇で初めて岡田将生さんを生で見たんですが、めっっっっっっっっっちゃカッコよかったです。
おしまい