あすとろのぼやき場

映画の考察やらなんやらを書きまとめます

ちょっとだけ真面目な“生”のぼやき

どうもあすとろです。

 

ここ最近コロナや雨で気分が沈み、さらには見てる我々に笑顔や幸せを届けてくれた芸能人の方々の訃報によりとても苦しい日々が増えたような気がします。

深く真実を探ろうとすればするほど事実関係とは全く異なるであろう憶測に溺れてしまうのであまり起きた事に対しては探るつもりもありませんが、「誰にも言えない悩みを持っていたのかな…?」だったり「かなり追い詰められていたのかな」など無意識に思ってしまいます。

その真実を知っても誰かに止める事は出来たのだろうか?と言われてしまったら返す言葉はありませんが、今日流れてきた訃報で少しこれからの2次、3次被害が怖くなってしまったのでぼやきたいと思います。

自分の力など微々たるものに含めるのもおこがましい程大層な力はありません、でもこんなブログ見てるのはほぼTwitterのフォロワーさんだとは思います()

拙い言葉ばかりで本当に申し訳ないですが、そんなフラっと見に来てくださった方達の心に留まり自殺や“死”の思考のストッパーになれればこの上ないと思ってます。

お時間ある方は無理ない程度にお付き合いくださいませ。

 

まず初めに、自分は心の病気を持っています。

心療内科にも通って会社も休職し保険料などが払えないため辞めて今は事実上ニートです。

一応「自律神経失調症」と「不安障害」の2つの症状を診断されましたが、身体中の原因不明の痛みや手の震え、希死念慮や頻繁に意識が遠のくなどの症状があるので違う病院でも診てもらおうかなと悩んでる状態です。

「こいつ構われたいのかな」とか「そんなおっぱらぴーなお前が病気な訳ないだろ」とか思われたく無いので、なるべく普通に過ごして隠してはいました。

そういった無意識にそう思ってしまう慢性的な被害妄想もあるかもしれませんが、僕は“人に迷惑をかける、負担をかける”というのが凄く嫌いです。

「求職中のニートが何言ってんだ」と思われるかもしれませんが、今だとどうしても生活のため、月々の支払いなどで母などからお金を借りなければいけない事が増えその度に心が苦しくなり「こんな自分が負担、迷惑をかけている」という思考に陥ります。(映画などの娯楽費は過去に買ったチケットや自分の持ってるフィギュアなど売って作ったお金でやりくりしてます。)

毎回謝る僕に対して親だけでなく友人達からも「気にしなくていいよ」や「深く考えるなよ」とよく言われますし、そういう病気と無縁の方は「え、そんな程度で?笑」となるかもしれません。

実際そんな程度だ、と自分では分かっているもののそんな程度で自分で自分の事が殺したくなる程、死にたくなるほど憎くなります。

それが積み重なり自殺衝動に駆られる、ということが何度もありましたし恐らくこれからも何度もあると思ってます。

「こんな何もない自分を雇ってくれるところなどあるのだろうか?」や「また母に迷惑をかけてしまったらどうしよう」などの将来の不安、過去の事象への後悔、療養したいと思っても周りからは「ただの甘え」と思われていそうな不安。

今でも「これ以上迷惑をかけてしまうのなら」と思って良からぬ行動を取ってしまいそうになったことばかりです。

でも、どうにかこうにか取り繕って今まだ生きていれています。

ここまでズルズルと生きてこれてるのは、本当に関わり合った色んな人のお陰だと考えてます。

母はヘルニアでしんどい中、こんな自分に深い深い援助をしてくれています。感謝など到底しきれません。

だからこそ何もしてあげれていない、親不孝な自分が死ぬほど嫌いでふとした時に死にたいと考えていました、「どうせこんな時期にこんな身も心もボロボロのやつを雇ってくれるところなんてない。」そう思いながらも、「とりあえず9日の誕生日までは生きてやるか」と思っていました、そして誕生日の日になり沢山の方が「おめでとう」とお祝いしてくださりました。

お世辞でも本心でも、こんな奴の誕生日をお祝いしてくださった方が何人もいました。

その時に沈み切っていた心が少しだけマシな方に手を引っ張られたような気がしました。

そこから「あの人から布教されたソシャゲのイベント進めれてないや、進めよ」とか「この人が絶賛してた映画観てないから観よ」など本当に極々小さな“生きるための句読点”を意識するようになりました。

人生も、文章も句読点無しで書き綴られると一区切りつける場所がなくて疲れてしまいますからね。

そして元々チケットを買っていた某都内の映画館のイベントに参加した際にそのイベント自体の楽しさで希死念慮を遠ざけることが出来ました。

その上その劇場の宣伝担当さんが自分のことを認知してくださってたんです。

将来、映画館の支配人になりたいと思ってた自分にとってビジネス的な意味ではなく実際の映画館の社員さんとお話できるという事自体に嬉しさで感極まってしまいました…!

すこし話が逸れてしまいましたが、のんべんだらりと生きていたと思っていたものの実は色々影響をもたらしていたんです、なんか不思議ですよね人生って。

「人に迷惑をかけない」という一種の強迫観念で苦しめられていたのに、その思考から来る言動のおかげで自分の心を安らげた、という皮肉さを神から味わいました笑

 

つまり何が言いたいかというと何か行動を起こし殺すも、救うも自分だけという事です。

だからと言って「俺はこんなに苦しんでたんだ!でもいい事は必ずある!根性で耐えろ!死ぬな!」とは言いませんし言えません笑

根性でどうにかなってないから、ここまで悪化してますからね()

 

でも、確かに苦しいけどわざわざ死に急ぐ必要なんて無くないですか?

それまでこんな腐った世の中で必死こく必要はありません、緩く頑張ってノロノロと生きてみませんか?

自分も今“緩く頑張る”ということを練習しています。

多分このブログを見る人は数少ないと思いますが、そんな数少ない人が「あいつがなんか言ってたし、ほんの少しだけ生きてみっか」となってくだされば幸いです。

 

どうか皆さんの楽しき人生に幸あることを。