映画観たら人生って不思議で難しいって思った話
意味深なタイトルとかにすると「病んでる?」って思われそうですが病んでません笑
あすとろでございます。
先日、ギャスパーノエ監督作品の
“エンター・ザ・ボイド”を鑑賞してほんのり感想書き綴りつつ思ったことがあったのでふらっと書きます
まずエンター・ザ・ボイドの内容をざっくり説明すると、「ヤク中でクスリ売り捌いて生活してる主人公、オスカーが死んだことにより霊体となり、歌舞伎町などの東京の街を彷徨う」という一見、中身ほぼ無いじゃん!みたいな内容。
だけどこれが映像や脚本など意外と深くて面白い。
(いかにもトリップしてるようなサイケデリックジャケット、結構ツボなんです)
本編でオスカーが離れ離れになった妹を東京に呼ぶためにお金を稼ぐんですけどそこで主人公の友人が「働くの?」ってオスカーに尋ねると「それは嫌だ、奴隷になるのだけはごめんだ」って答えてドラッグディーラーの道に進むんですよ、
ここで自分は「羨ましいな」って思っちゃったんです、やっちゃいけないのは重々分かってますけど笑
危ない道を進んででも会社、社会の奴隷にならずディーラーでお金を稼ぐ事を選んだって結構すごくないですか?
多分ほとんどの日本人の人が「仕事嫌だなぁ」とか「本当はあの仕事やりたかった」とか少なからず今の仕事に不満持ってる人が多いと思うんですよ。
手当とか社会保険とか完備してて安定してる“はずなのに”それに不満を感じてる。
方や一方は犯罪者として捕まるかもしれないけど、やりたい事やって小さい幸せを感じながら歌舞伎町の小さいアパートで細々と生活してる。
「幸せってなんだろう」ってより深く思うようになっちゃったんですよね、オスカーのたった一言で。
給料が高ければ幸せなのか、休みが多ければ幸せなのか、友人が多ければ幸せなのか、転職して環境を変えれば解決するのか、などなど考えて悩めば悩むほど雁字搦めになって苦しむだけなんですけどそれでも考えちゃうんですよね、本当馬鹿です笑
それ以外に死生観も考えさせられるんですけど、
「人が死ぬとその魂が体から離れその前に自分の人生がフラッシュバックし、魂が浮遊し始める。
そして光が見え始める、崇高な地へと続くドアが見えるにも関わらず多くの人はこの世に未練があって離れたがらない、そうすると“バッドトリップ”に陥る。」
というもの。
めちゃくちゃざっくり書いたんですけど、なんか分かるところが怖いんですよ
“死”は必ずしも幸せとは限らないっていうのが。
しかもその比喩的な例えを薬物で表現してるのがまた凄くないですか?
たまに「最高の快楽は死」っていう言葉を聞きます。
どんな薬物よりも、どんな娯楽よりも結局は人生最後の瞬間が最高の快楽なんですって(死んだことないから分からんけど)
「え、その最高の快楽のために苦しんで耐えてお金稼いで幸せかどうかも分からない未来に向かって生きるって訳分からんくね?」って思ったんですよ
めちゃくちゃハイリスクやんって
実際生きてて楽しい事ってめっちゃあるって思ってます。
同じ“映画”って趣味で繋がれたりとか、美味しいご飯食べたりとか、自分じゃ生み出せないような音楽や映像を観たり聴いたりと。
でも、最初から繋がれた訳ではないですし繋がれても疎遠になったり縁が切れたりする事ってあると思うんです。(進学で離れ離れとか仲良いフォロワーさんのアカウントが消えたとか)
わざわざ苦しまないと楽しさを味わえなかったり、幸せの後は不幸が訪れたりとか「なぜハードモードに切り替えるん??」って思うんです
仕事の環境に慣れなさ過ぎて入社3ヶ月で辞めてそこから病んで廃人になった事があるんですけどその時に“死ぬほど苦しい”って沢山思いました
まさにバッドトリップですよ、
だけど友人の協力だったり意地で抜け出したその後の経験は“めちゃくちゃ楽しい”ってことを沢山味わいました
グッドトリップってやつです
ふと思い返した時に「どっちも一種の麻薬だったんだな」って思いました
バッドトリップも一生は続かない、グッドトリップも一生は続かない、どっちも“続ければ”終わりはないんだなって
その時にギャスパー監督の言い回しというか表現が凄い染みたんですよね、生死すら比喩しちゃうところが。
めちゃくちゃ話逸れたんですけど、人間って生きたいって思うけど、心の底から苦しくなったら「死にたい」って思う人は思うんです、
本当は誰もが味わいたくないはずなのに誰もが味わいたい麻薬なんです、不思議ですよね
なんか宗教みたいな文になっちゃった、やばい
たかが映画1本観ただけなんですけどね、揺さぶられてますね笑笑
こんな訳分からん話を最後まで見るような人はいるか分からないですけど、見てくれたらありがとうございます笑orz
めちゃくちゃ感情のままに書いたんで支離滅裂な文だったと思いますが今度はちゃんとしたやつ書きます!!!!!